2025/01/29 14:28
#1 に引き続き、消しゴムはんこカレンダーのおはなし。
2021年からスタートした消しゴムはんこのカレンダー。今年で制作5年目となるので、今まであまり詳しくはご紹介していなかったこの作品に纏わるたくさんの思いをお話ししてみようとおもいます。

というのも少し淀んだ空気の過去の長い話をはさんでしまうので、作品のキャプションとしては省いていた部分ではあるのですが、もし同じようなこころの引っかかりを感じていて、共感できるひとを探している方なんかがどこかにいたのなら、分け合いたいなと思い、初めてオープンにしてみようというわけです。
販売ページにも記載しているような
"気配のカレンダー"
の由来について。

わたしは最初のコロナ禍の春に、社会人1年目を迎えました。最初に就職したのはガラスに関するお仕事で、東京から少し離れた場所にありました。
そのため、都内で出ているような緊急事態宣言などとは少し時差があるような、感染拡大の緊迫感が少しおくれてやってくる土地柄、そして卸の納品物やオンライン販売物の制作をしていたため、仕事が休みになったり出勤が減るという影響は特に無く。むしろネット注文が急速に普及し仕事は増える一方です。
週6日、朝から晩までFMラジオを浴びながら仕事をしていました。
ラジオでは人生によって実にさまざまなくるしさを抱えた人たちからのお便りと、それに対するパーソナリティによる当たり障りのない返答が一日中繰り返されていました。
いろんな人の生活を垣間見るような情報が勝手に耳から入ってくるうちに、いつのまにか自分には"土日"や"祝日"、"連休"とは無縁のせかいを生きていることに気が付きます。
ゴールデンウィークにどこにも出掛けられなくてつらいです
緊急事態宣言が出ても仕事です
土日もなく毎日残業です
そういった言葉を聞いてるうちに、他人のものさしで見た自分の生活って、"○○なのに〜"がひとつもないなと感じるようになりました。元々そのこと自体がそんなにつらかったわけではないのに。

その頃のきもちがよく現れている2021年2月のモチーフ。後日解説記事書きます✏︎
土日も祝日も定時も外出制限も関係なく働き、誰1人知り合いのいない土地なので季節のイベントを誰とも共有することのないだろうこれからの生活にしっとり悲しくなるなど。
みんなは"本当だったら○○なのに"という基準がありそれが叶わないからつらいんだと言っているけれど、自分には最初から与えられていない前提であったわけで。
そう考えるうちに、職場にある大きな大きな紙の太い文字のカレンダーが目に入ると、カレンダーが示す"本来の日にちの規則"に劣等感を抱くようになりました。
「今日は水曜日。次の休日は火曜日です」
「土曜が青、日祝が赤。これらは本来休みである"べき"曜日です。」
なんていうふうに訴えかけられているきもちになり、ただのカレンダーにうらみのようなものを感じはじめます。
大きく主張してくる数字や色や、イベントのイラストに押し潰されそうなきもちになってしまうのです

そこで自分が欲しかったのは、最低限の日にちを認知できるだけの存在感のカレンダーでした。
ひじょうに目まぐるしいこのせかいには、ちょっと周りを見ればそこかしこに、同じく曜日や時間の概念から大きく隔離された環境で働く人がたくさんいます。
だからもちろんみんな、まいにち今日が何日で、何時からなにをしないといけない、ということをきちんと把握していなくてはいけないのは当然です。おとなですから。
だから日にちを見失うことはなく、でも日にちに追いかけられることもないような、ちっちゃな声で
「今日はね、なんにちだよ」
と教えてくれるだけのようなカレンダーが作りたかった。
そうしてできたのがこのカレンダーでした。
なので機能としてはとってもわずか。近付かないと読めないし、ぱっと見ると曜日と日にちが結びつけらんないし。
イラストの部分も何が描かれてるのかよくわからないし季節感もない。

最初の最初は、イラストさえもないごくシンプルなものも作ってみたりしました。とにかくとにかく、カレンダーというツールに対する意識の解放を目指して。
だからこそ、自分のこころとただの日にちを切り離さず、でも支配されることもなく過ごせるんじゃないかとおもいますし、そうであってほしいと心から願っています。
